10am
入院。予定日が7/20だったにも関わらず、待てど暮らせど陣痛が来ない、ということで「試験分娩」となり、予定日から2週間過ぎたこの日に入院。
12pm。
胎動モニターを付けて今後の予定について、助産婦さん、ドクターと相談。試験分娩というのは、結局、基本的に自然分娩を試みるが最終的にその時の状況によって帝王切開になる可能性もある、という言ってみれば二重苦スタイル。
このダブルの苦しみがどうも納得いかなかった私は、最初から帝王切開で一刻も早く、赤ちゃんと対面したいのだ!とドクターにお願いしてみた。
が、帝王切開となると手術なので、医学的な理由付けがないまま手術をすることはできない、と簡単に却下。
その段階では、私の体調や赤ちゃんの心拍も問題なく、骨盤の幅も赤ちゃんが通りそうだし、子宮口という赤ちゃんが出てくる道も少しづつ開いてきているらしい。
結局、その段階でできること・・・・それは、陣痛誘発剤によって陣痛を促進させて自然分娩するのが一番良い。という結果になった。
ならば、仕方がない。その誘発剤とやら、さっさと始めましょ。
ってな訳で、とにかく重い身体から早く開放されたい、元気な赤ちゃんがどんな顔してんのか早く見たい!一心ですぐさま処理を施してもらえるようドクターにお願いした。
そのときに、
「もしかすると2日がかりになるかもよ。」
と一言ドクターが何気ない口調で言った。
それが、「もしかすると、2日がかりで(陣痛に耐えなければならないかもよ)」なんていう真の意味であったなんて、出産初めての私にはそのとき、知る由なんてあるハズない。
だから、そんなドクターの一言も軽くかわし、
「っていうか、もうこれ以上なにもせずに待ってるだけなんてイヤですよ!」と、戦闘体制(?)ばっちりの心意気で、ドクターと最後の相互確認をした。
それまでの32年間の人生の中で、入院も手術もしたことがなく大きな病気もなく、健康に過ごしてきた私にとって、瞬間瞬間のできごと全てがある意味すごく新鮮だった。
入院の荷物を持ったまま、まず連れてゆかれたのが陣痛室。4つ位の小部屋が並んでいて、でもドアはなく代わりにカーテンがついている。
部屋というよりは、更衣室という感じ。シングルベッド、サイドテーブル、折りたたみいすの3点が充分に納まるだけの広さの中、まずは病院食1回目。
この病院食というのも初めて口にする私は、いささかウキウキ、というかコーフン気味で、今思えば、薄味のそのごはんは特別豪華なものではなかったのに、左手に点滴と誘発剤の混合液(多分)を注入しようとドクターが注射針をさしているその右手で、私は昼食の五目かやくゴハンをがっついているという始末。それには、ドクターも呆れていた(^_^;)。
そして、遂に私の陣痛誘発攻撃が始まった。
とは言っても、最初の数時間は何の徴候もなく、ただボッーとベットに横になり、呑気に持参した雑誌を読んだりしていた。
16:00。
「もしかしてこれって陣痛?」と思われる痛みを感じ始めたのは、誘発剤注入から3時間近く経ってから。
下腹部からどどどっと押し寄せる鈍痛だった。
この段階の陣痛は、まだまだ第1段階。深い深呼吸で何とかやり過ごす。そして、その間隔は時間と共に30分〜20分と狭くなってくる。
23:00pm。
夜には痛みの度合いがまさに、ビッグウェ〜〜ブ状態。息をするのも大変なほどの痛み。そうすると、ゆっくりの深呼吸なんて忘れちゃって、どんどん息が荒くなってくる。
途中、とうとう極度の呼吸量に酸素が充分にまわらず、身体全体を震えとしびれに襲われる。その結果、ビニール袋を手渡され、口にあてて自分のはいた酸素をまた吸う、という状態に。
加えて、落ち付いたと思ったら、またまた陣痛ビッグウェ〜ブの到来。その凄まじい陣痛の合間に、内診のためにドクターがやってくる。陣痛と共に開いてくる子宮口の大きさを計るためだ。
妊娠中、病院で受ける検診で何が嫌って、この内診がとにかくイヤだった。股を広げて台の上に上るっていうことが、本当に恥ずかしさとかっこ悪さ超一流だと思ってた。
しかし、この陣痛ビッグウェーブの最中になると、もうそんなこともどうでもよくなっていた。
というか、半ば呼吸困難と体力消耗で意識がもうろうとしており、自分の身体じゃないみたいな感覚になっていた。意識の中にある想いはただひとつ。
「赤ちゃんよ、早くでてきておくれ!」








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